c.原始仏教と原始基教

当研究室でよく引用します原始仏教原始キリスト教の概要を私的に整理しました。

原始仏教
釈迦が生きていた時代を含む初期のおよそ150年から200年の間のプレ部派仏教は初期仏教、原始仏教、根本仏教とも呼よばれております。
現代の仏教で『小乗仏教』と呼ばれているのは、後世の『大乗仏教』サイドからの蔑称であり『上座部仏教』と呼ぶのが正しいです。
インドのオリジナル仏典を漢訳して中国から日本へと持ち込まれましたのが『北伝』であり、一方パーリ語訳して東南アジアへ持ち込まれましたのが『南伝』です。
『上座部仏教』経典の一部は北伝では「阿含」とも呼ばれ、長い経典を編纂しましたものが所謂「長阿含」であり、南伝では「ディーガニカーヤ(長部経典)」に相当しますが、「阿含」は省略が多いです。
仏教の多数(八万六千)の諸聖典のうちでも、最も古いものであり釈尊のことばに最も近い詩句を集成した聖典が「スッタニパータ」です。

原始キリスト教
325年のニケーア公会議で勝利しました司教アタナシウスは367年に『復活祭書簡』を各教会に送り、現在の旧約聖書、新約聖書以外の文献群は焚書されるように意図しました。
これら焚書されました文献群の一部は古文献に名称のみ登場して『幻の文献』だったのですが、主に第二次世界大戦以降に各地で次々に発見されました(所謂復活しました)。
有名なのは死海ほとりのクムランの洞窟で見つかりました「死海文書」、上エジプトのナグハマディ村で見つかりました「ナグハマディ文書」、その他にも「マリアの福音書」、「ユダの福音書」などがあります。
「死海文書」の中の「エッセネ派宗規要覧」は当時のユダヤ教エッセネ派の神学を知る上で極めて重要であり、研究者達の多くは洗礼者ヨハネ(イエスに水の洗礼)がエッセネ派に所属との論文も多いです。
新約聖書を読めばイエスと洗礼者ヨハネは互いに相手を絶賛しあい、二人ともパリサイ派とサドカイ派を罵倒していることから、イエスもエッセネ派または親派であったことが覚れます。
(因みに当時の記録『ユダヤ古代誌』ではユダヤ教の3大宗派はパリサイ派、サドカイ派、エッセネ派でした。)
一方、「ナグハマディ文書」には多くの福音書、預言書等が含まれ、中でも「トマスの福音書」は世界中の学者らからも「なぜ、聖典に入らず焚書されたのか?」と重視されております。