N.縄文土器の神代文字

縄文土器に刻まれた神代文字を伊勢神宮文庫の神代文字と比較してみました。

【上野原遺跡(国分市)】 
7,500年前(縄文早期中頃) 文化の多様化  土器埋納の祭祀跡が発見された。(「上野原縄文の森サイト」より)
発掘調査では17層の土層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認された。 (Wiki「上野原遺跡」)
7層目: 黒褐色土。様々な種類の縄文土器に加えて集石遺構56基、土抗3基が確認され、縄文時代早期中葉から前葉の遺跡とされる。

(1番目の写真)線刻土器(重要文化財)
阿比留草文字で左から、「ヒレナ」または「ヒモナ」とも読めそうです。
右からだと、「ナレヒ」または「ナモヒ」。
1番左の文字は「ヒ」でなく「ト」かも知れません。
その場合は左から、「トレナ」または「トモナ」とも読めそうです。
右からだと、「ナレト」または「ナモト」。

(2番目の写真)708年に太安万侶、稗田阿礼らが伊勢神宮に奉納した文。
(太安万侶の阿比留草文字の奉納文の一訳)
マタアカアシ ミヘノマカリナシテ(また赤葦 三重の罷りなして) 
イタクツカレタリトノタマヒキ(いたく疲れたりと宣ひき) 
カレソコオミヘトイウ(かれ其所を三重と言う)
ヤマトホコアマツミシロトヨクムナリヒメミコト(日本根子天津御代豊國成姫命=元明天皇)
ツチノエサル(戊申=708年)

伊勢神宮への奉納文と上野原遺跡の縄文土器の線刻文字とを比較して、「ナ」、「レ」、「ヒ」の文字は似ていることが確認できます。

7,500年前といえば、シュメール(ウバイト期、BC5300年~)と同時期で、日本人の技術(土器)と知識(文字)の水準が世界一であったことが実証されます。