世界最古の土器は1万6千年前の縄文土器です。
氷河期には水面が現在より約150m低かったとのことです。
因って当時の縄文人達の生活範囲、陸の移動ルートを大雑把に見るために大陸棚の写真を示します。
大陸棚は水色の地域です。(Wiki大陸棚より撮影)
東北、北、西、南に広がっていることが分かります。
特により暖かい南方の大陸棚は生活圏だった可能性が高いと仮設しておきます。
将来にこの地域の海底から縄文土器が発見されれば検証されることでしょう。
この静岡県の南方に拡がる大陸棚の面積は現在の日本列島の面積と同等以上にも見えます。
縄文人達が『水没した巨大な島(大陸)』の伝説を語り継いだのも極自然でしょう。
静岡沖の大きな島の他にも『水没した巨大な島(大陸)』の候補地を検討してみます。
2番目の写真:竹内文献の神代萬國図
3番目の写真:大陸棚の海図
氷河期には、フィリピン辺りに大きな島(大陸)があり、台湾経由で鹿児島への陸のルートが見られます。
竹内文書の神代萬國図にある大きな島はスンダランド(大陸棚)によく一致しており、チャーチワードが提唱したムー大陸とは位置も大きさも異なります。
1万2千年前にいきなり水没したという伝説ですが、大地震による大津波で縄文人達が流されたというのであれば十分にあり得ます。
このスンダランド大陸説ではフィリピンから縄文土器が発見されるか、日本人とフィリピン人のDNAの類似性が必要かと思います。
次に視点を変えて、所謂「ムー」の候補地を検討してみました。
4番目の写真:チャーチワードが主張したムー大陸
5番目の写真:太平洋の大陸棚の海図(グーグルアース)
6番目の写真:ハワイー天皇海山列のMokumanamana島の遺跡の列石群
北緯33度線で太平洋にあるハワイー天皇海山列にも大きな島(大陸棚)が見えます。
そして、その西北と西南にも日本の本州並みに大きな島(大陸棚)が見えます。
この三つの大きな島を結んだ領域は、チャーチワードが主張したムー大陸と大きさ、位置もほぼ一致します。
仮設:1万6千年前には太平洋に「ムー大陸」は無く、三つの大きな島を船で往き来する海洋国家「ムー帝国」があった。
補足:「ムー帝国」人は日本にも、北米、南米にも海路を往き来する航海術を持っていたが、次第に水没し大津波もあった。
参考:ハワイー天皇海山列で縄文時代のイワクラに類似する遺跡が見られる。
(DNA視点)
Y染色体は大きくは5つのグループに分けられます。
A系統(アフリカ固有)
B系統(アフリカ固有)
C系統(アフリカ出の第1グループ)
DE系統(アフリカ出の第2グループ)
FR系統(アフリカ出の第3グループ)
(事実)日本はアフリカ出での第1、第2、第3グループの全てが揃っている稀有の国。
(仮設1)数万年前の日本は世界の中心で、多くの国々と交易、人の移住があった。
(仮設2)数万年前のムー帝国は世界の中心で、多くの国々と交易、人の移住があった。
1万2千年前にムー帝国は水没および大津波があって、日本へ多く生き延びた。