H.ヒフミ歌

神社のお札、奉納文以外でも、阿比留草文字のコード表を使用してペトログラフも読めます。
最初の写真は大分県宇佐郡の三女神神社の「日文石」です。 *1
三女神とは筑紫の国に降臨した宗像三女神のことです。
ヒフミ歌はイロハ歌よりも古いと言われ、他のいくつかの神社の神宝にも書かれております。

2番目の写真は熊本県阿蘇郡の幣立神宮のご神体の「鑑(かがみ)」という石板で、厚さ2cm、幅8cm、長さ13cmです 。*1
表には阿比留文字で「アソヒノオホカミ」と書かれ、裏には阿比留草文字でヒフミ歌が書かれていることがコード表で解読できます。
「アソヒノオホカミ」は「阿蘇火の大神」または「阿蘇肥の大神」と平成4年に吉田信啓氏は解読し、私は「阿蘇日の大神(祭神のイザナギの意?)」と読みます。
なおヒフミ歌は三女神神社の「日文石」や奈良県の石上神社の「ひふみ祝詞」の文字列とまったく同じです。
幣立神宮の社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命がこの地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったとのことです。

神代文字と言霊の幸あう国よ。 弥栄

(吉田信啓氏の「ヒフミ歌」解読)
ヒフミヨイムナヤコトモチロ 一二三四五六七八九十百千万
ラネシキルユヰ       蘭根敷き縷結い
ツワヌソヲタハクメ     強ぬ襲を多育め
カウオエニサリ       交う悪穢に去り
ヘテノマスアセ       辺天の枡畔
ヱホレケ          ゑ掘れけ

敷き:栽培し 縷:細い糸 強ぬ襲:強い兵士
穢:悪い方角 天:神 枡:田 ゑ:しっかり

以上、朝鮮語からの借用でなく、神代文字で複数の物証ありで後世の贋作でもなく、空説の汚名を負った平田篤胤もお喜びかとの吉田氏所感です。

*1「神字日文解(かんなひふみのかい)」吉田信啓、中央アート出版社