B.ヤマト国ヒミコ

倭姫(ヤマトヒメ)命は、古事記によれば第11代垂仁天皇の皇女で第12代景行天皇の妹という事になっている。
この倭姫命を卑弥呼である、としたのは京都大学の内藤虎次郎である(Wiki参照)。

私もこの説に1票入れる根拠を以下に示します。

【春秋歴を鑑みた天皇即位年】
・記紀の安寧天皇まで20代の天皇に神功皇后をプラスした21代の平均在位年は約53年
・古墳時代までは春秋歴(1年を2年と計上)を使用したと仮設して、平均在位年は約27年(当時の寿命から妥当)
・雄略天皇が即位した456年から、歴代天皇の在位年数の半分ずつで遡る(春秋歴補正と仮称)
・春秋歴補正の結果、11代垂仁天皇は214年頃に即位

【春秋歴を鑑みた邪馬台国卑弥呼】
・卑弥呼が登場する242年は垂仁天皇の55年頃(春秋歴補正28年)
・倭姫命(倭比売)は天照大神の祭祀だったし、卑弥呼も祭祀王
・「ヤマト国ヒミコ」と「ヤマトヒメノミコト」とは言霊的にも酷似
・逆に「ヤマト国」を倭国と当て字した場合、ヤマトヒメは「倭姫」と記載できる

【垂仁天皇の空白期間】
・日本書記では、39年に石上神宮に神宝を奉納し、次は87年に天皇は登場する
・上記の48年間(春秋歴補正24年間)の空白期間の活動記録がない
・もし皇女の倭姫命の華々しい活躍があったとしても削除されたかも知れない
・邪馬台国には伊支馬(イクメ)という官がいたが、垂仁天皇の本名は「イクメイリヒコ」

【春秋歴を鑑みた邪馬台国卑弥呼(その2)】
・神武天皇から反正天皇までの18代の平均没年は102歳(日本書記ベース)
・允恭天皇から欽明天皇までの11代の平均没年は58歳
・允恭天皇が即位した412年から、歴代天皇の在位年数の半分ずつで遡る(春秋歴補正と仮称)
・春秋歴補正の結果、11代垂仁天皇は192年頃に即位し、倭姫命の祭祀は204年頃
・ヒミコが登場した242年には倭姫命は50歳代と推定

以上、「ヤマト国ヒミコ」への一考察とします。